2009年11月23日月曜日

イタリアの「スローフード」文化には、種も仕掛けもある!

昨今のテレビでは、農村エコロによるイタリア賛美が繰り返されているのにはいささか辟易している。今日の日テレの番組もその一つに分類されるのだろうが、重要な「事実」が(制作者の意図に反して)明らかになった。この番組:
BS日テレ 小さな村の物語 イタリア: "#56 ヴェレッツォ・ロメッリーナ (ロンバルディア州)
イタリア北部。ミラノから車で1時間半ほどのロメッリーナ地方は、イタリア一の米どころとして知られている。
その真ん中に位置する村、ヴェレッツォ・ロメッリーナは、この時期、一面黄金色の実りに抱かれる。春夏秋冬、村人たちは田んぼの営みの繰り返しとともに歩んできた。もうすぐ収穫の季節を迎える。
《主な内容》
代々続く農場の跡取り、家族で営む村唯一の大きな専業農家、村の収穫を何十年も見届けてきた元農夫・・・、米作りの村の農夫3人の物語"

番組で取りあげられた農家の農地は180ヘクタール。おまけに彼はもともとの農家ではなく昔は鍛冶屋だったという。いずれもニッポンでは制度的に不可能なことだ。

ファッショの臭いがプンプンするイタリア「スローフード主義」を賛美するのも結構だが、ニッポンの小規模兼業農家の食い扶持を保障しようとしてこういう番組が作られているとすれば、それは見当違いだ。やるべきことはまるで逆だろう。

ニッポンでは農家以外が農地を買うことはほとんど不可能。ものすごい参入障壁がある。それはたとえ「三反」でも農地さえ保有しておれば生活が保障されるという戦後の自民党政権によるイナカへの利益誘導政策のおかげで、農地自体が巨大な既得権益と化してしまったからである(よそ者にはそんなうま味のある飯の種を売るわけにはいかないと言うことで農家以外による農地の保有は事実上禁止されている)。ニッポンでは鍛冶屋が農地を買うなんてことはあり得ないのである。

鍛冶屋が買った農地の広さにも驚倒。狭いイタリアなのに180ヘクタールだ。それでも生活は苦しいという(換言すればそれだけ安く消費者に農産物を供給していると言うこと)。ニッポンの農家の平均農地面積はせいぜい三反(0.3ヘクタール)ではないのか。それで生活が出来ないのは当たり前だが、三反でも生活できるように農家の生計を保障しようとする農業政策が政治的に推進されている。トンでもない時代錯誤である。おかげでニッポンでは10ヘクタールも持っておれば(国際的には極小零細農家にすぎないけれど)高所得農業者になる。あいつらがそれだけ理不尽に儲けることができるのは存在価値のない「三反農家」の存在が政治的に守られているから(三反農家でも生存できるように農産物の価格が設定されるから)である。だから農地の大規模化(生産性の向上)は一向に進まない。コストを払うのはおいら消費者。ニッポンの農家数は今の十分の一でも過剰なのである。

何十年もそのコストを払ってきたのは都市住民(産業就業者)。日本産業が元気なうちは何とかなったが、さすがにボディーブローが効いてきたので、ニッポンの国際競争力は、惨めなまでに低下してしまい、みんなビンボーになってしまった。農家が栄えて日本の農業が滅びた。日本の農業ばかりではない。扶養家族を抱えすぎた日本経済もそのおかげで滅びつつあるのである。

2009年11月19日木曜日

余丁町にヤマバトがやって来た!

雨の中、庭をごそごそは這い回っている一羽の鳥がいた。ヤマバトである。毎年もっと寒くなってからやって来るのだが、今年は早い。寒くなるのかも知れない。

荷風が余丁町に住んでいたときもヤマバトがよくやってきたそうだ。このような記述がある:
荷風塾 No9: "大正7年正月7日。山鳥飛び來たりて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必只一羽わが家の庭に来るなり。いつの頃より来り始めしにや。仏蘭西より帰り來たりし年の冬われは始めてわが母上の、今日はかの山鳩一羽來りたればやがて雪になるべしかの山鳩来るに日には毎年必雪降り出すなりと語らるるを聞きしことあり。されば十年に近き月日を経たり。毎年來たりてとまるべき樹も大方定まりたり。三年前入江子爵に売却せし門内の地所いと広かりし頃には椋の大木にとまりて人無き折を窺ひ地上に下り來たりて餌をあさりぬ。その後は今の入江家との地境になりし檜の植え込み深き間にひそみ庭に下り來たりて散り敷く落ち葉を踏み歩むなり。此の鳩そもそもいづこより飛び来れるや。果たして十年前の鳩なるや。或いは其の形のみ同じくして異なれるものなるや知るよしもなし。されどわれはこの鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、ある時は障子細目に引きあけ飽かず打ち眺めることもあり。ある時は暮れ方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど決して人に馴れず、わが姿を見るや忽ち羽音鋭く飛び去るなり。世の常の鳩には似ず其の性偏屈にて群れに離れ孤立することを好むものと覚えし。何ぞ我が生涯に似たるの甚だしきや。"


「世の常の鳩には似ず其の性偏屈にて群れに離れ孤立することを好むものと覚えし。何ぞ我が生涯に似たるの甚だしきや。」とはおかしい。今日やって来たのは、ひょとしたらこの時のヤマバトの子孫かも知れない。

2009年11月18日水曜日

米国の1700万世帯で「食料不足」

こんなニュース:
NIKKEI NET(日経ネット):米農務省、1700万世帯が「食料不足」 1995年以降で最悪: "【ワシントン=御調昌邦】米農務省は、2008年に米国全体の14.6%にあたる1714万9000世帯が貧困などを理由に食料不足になったとする報告書を発表した。前年に比べて約414万世帯増え、比率も3.5ポイント上昇。米景気低迷を受け、1995年の調査開始以降で最悪の結果となった。
 家族全員が健康的な生活を送るために、いつでも十分な食料を確保できる状態を「安全」、それ以外を「不足」と定義した。食料不足となった世帯の3分の1強にあたる672万3000世帯では時々、食生活が崩れたり、家族の一部が食事の量を減らしたりする厳しい状況という。子供が厳しい食料不足に陥っているケースも子供がいる世帯の1.3%にあたる50万6000世帯に上った。"
今までみんな食い意地が張りすぎていたから、ちょうどいいのではないか。少しは痩せるだろう。

ニッポンにおいても同じことが望まれる。毎晩のテレビの「オイシ〜!」絶叫番組には正直憂鬱になる。モンゴロイドはそもそも飢餓対応型のDNAを持っている人種だから、ああいうノーソンへの利益誘導型のこだわり食生活を続けていると確実に肥満する。

世の中はたいへんな不況だ。新政権の政策で今後どんどん悪くなるだろう。余分な食べ物を買わないこと。これこそ、一番の自衛策だ。

2009年11月17日火曜日

イオンの転換社債の売り込みがしつこい!

おいらもよほどアマちゃんだと思われているのか、一度断ったのになんとか「一口だけでも」と泣き付かれてしまった。このCB。無利息の上に最初から2.5%のプレミアムが付いているので買って償還するまで置いておけば確実に損する仕組み。いくら世の中デフレだといってもこれじゃ買えないので断固断る。これを書いている最中にも別の証券会社からも売り込み。証券会社も売るのに苦労している模様だ。

優待券狙いをするにしても都心にはイオンの店がないのだ。あのビジネスモデルはイナカの農地をがばっと買い占めて農地転用で地主に大いに儲けて貰い、土建屋にもばんばん儲けて貰い、ばらまいたお金をイオンでどばっと派手に使って貰うことで成り立っていた仕組みなんだけれど、最近はなかなか難しいわな。(ニッポンの農家の農業所得より農地転売等不動産所得の方が多いのは知られている事実。いくらなんでもあくどすぎる)

ところで民主党は途上国に環境で大盤振る舞いを決めたらしい:
asahi.com(朝日新聞社):途上国の温暖化対策、12年までに8千億円支援 環境相 - 政治: "【コペンハーゲン=山口智久】小沢鋭仁環境相は16日、途上国の地球温暖化対策支援のため、日本が12年までの3年間に総額90億ドル(約8千億円)を拠出する方針を明らかにした。「鳩山イニシアチブ」の一環。途上国支援の具体策は、13年以降の国際枠組み(ポスト京都議定書)の合意を左右する焦点となっている。"

インドのラメシュ環境相は朝日新聞の取材に対し「日本の寛大さに敬服する。EUや米国も続いてほしい」と評価した。

ニッポンにはとてもそんな余裕はないと思うのだが、これもイナカにお金をばらまけば必ず儲かるという岡田イオン哲学か。

新たなバブルが膨らみつつある。今度のバブルの鳥は「カンキョーカンキョー」と啼く。薄気味悪い。くわばらくわばら。

2009年11月6日金曜日

ニッポンの若者の「自己満足」傾向は、目に余るように思うが……

おいらのサイトに、どのリンクから人が来ているかをチェックしてみたら、驚いた。何年も前に書いた実に下らない記事が多くの「自己満足型ウヨサイト」で引用され、そこから飛んでくるアクセスが多いのだ。ニッポン人はそれだけ「褒められること」に餓えている。ニッポンの「支離滅裂」な政治現状を見ればわからないことでもないが、悲しいことである。

「自己満足型サイト」で引用されている記事とはこれ:
Le Monde 「クール・ジャパン」ポップの超大国日本: "昨日に引き続き今日もポンス記者の報告。「日本はポップのスーパーパワー」と最近の日本の若者文化を高く評価しています。10年続く不況が高度成長時代の一生懸命主義の抑圧をぶちこわ したおかげで新しい文化が花開いた。これはアメリカの一極文化支配に対抗しうるすごいものだというのですが……そうかね? 散人は女子供文化だと思うな。 まあほめられれば悪い気はしないけど。"
おいらは、こんなのに自己満足してはいけないよと言ったつもりなんだけれど、これで有頂天になってしまう人もいるみたい。

マンガとかアニメにうつつを抜かしているような人間が多数を占めるような国は滅びてしまう。電車の中でマンガを読んでいる成人が多いのは、国辱ものという以上に、悲しい。開き直りは聞き飽きた。民度が低いだけの話。

この記事が参考になる。マンガにうつつを抜かしているアホは読め:

実は“下り坂”のジャパン・アニメ〜騒いでいたのは関係ない人たちだけ:日経ビジネスオンライン: "実は“下り坂”のジャパン・アニメ〜騒いでいたのは関係ない人たちだけ


関係ない人の自己満足コールド・ジャパン症例〈自己満足〉型


細山 和由、黒澤 俊介 【プロフィール】"

欧米では分厚い本を読む人の割合が圧倒的に多いのだ。それに対してニッポン人はマンガばかり読んでいる。客観的な数字を見ると驚倒する。これじゃ日本は負ける。

この自己満足願望はマンガ読者ばっかりじゃないよ。NHKテレビを見てると「こだわりの」「手間が掛かる」「みんな一緒に仲良く」の「伝統」文化が、これでもかこれでもかと賛美され、生産性なんかはまるで無視されて、これこそニッポン文化のいいところだとのノーソンの政治的宣伝番組ばかり。これではニッポンはホントに「開発途上国」に逆戻り。栄養状態も悪化してしまう。嘆かわしいことである。

2009年11月5日木曜日

NHKクロ現:東ドイツ問題「壁崩壊20年 欧州の光と影」

クロ現にしてはわりかしいい番組。もともとあんなのを一緒にするべきではなかった:
NHK クローズアップ現代: "壁崩壊で中東欧でも社会主義政権が崩壊する。あれから20年。ドイツでは「東独は独裁国ではなかった」と答えたり、「ベルリンの壁を作ったのが東独だった」ことを知らない若者が増殖中だ。東西ドイツ地域には依然、経済的な格差があるため、旧東独の親たちが現代史を真正面から伝えず、過去を美化する傾向があることが指摘される。"
当時の西ドイツは一種のヒステリー状態にあった。いくら「これじゃ国家が保たないんじゃないの?」と言っても、強引に民主的にポリティカリーコレクトな「1対1」での東ドイツの併合に踏み切った。それから20年。いまでは旧西ドイツ市民の大半は、東ドイツ市民への「所得移転税制」に不満を抱き、旧東ドイツ市民の大半は、昔の「みんな一緒に」貧しかった共産体制の方がよかったと不満を抱いている。みんなを一緒にしようとしたばかりにみんなが不幸になってしまったのだ。

もともとドイツとは統一国家ではなかった。それを無理やり一緒にして「国民のアイデンティティー」などを言い出したのがヒトラー。イタリアにしても同じで、北部と南部の対立はいまだに尾を引いている。

「国民国家」は必然的に侵略国家に変化する。ドイツのみならずナポレオンのフランスにしてもそうだったし、もちろん帝国ニッポンも。ナショナリズムしか国家を一本化するすべがないからだ。今の中国もそうだが、国際平和の意味ではろくなことはない。

ニッポンも昔々は「国民的」に統一された国ではなかった。その方がよほど平和であったのだ。ヤマトタケルが頑張りすぎて無理やりエビスまでもを大和統一国家に組み込んだのが間違いの始まり。現代ニッポンに於いても、統一ドイツと同じ問題がいまだに尾を引いている。ニッポンも、地方地方にそれぞれ独立採算制度を確立し、ナショナリズムを希薄化させた方が、国際平和によほど寄与する。国のおカネはぶんどったもんの勝ちとかいう「乞食根性」もなくなる。

日経連載小説「おたふく」:三十文の弁当でみんなホントに幸せになったのだろうか?

日経夕刊の連載小説(山本一力「おたふく」)は面白いので毎回読んでいる。今回は悪い役人連中が八丈島に流罪になって、いよいよ不景気だった江戸の街にも明るさが出てくるというくだり。みんな梅屋の三十文握り飯弁当で幸せになり景気がよくなったと言うが、梅屋の弁当が売り出される前は職人たちはなんか食っていたはず。もともとの弁当納入業者の「所得減」が同時に発生するので、いくら梅屋の弁当が売れても差引ではニュートラル。景気はよくなるはずはないので、おかしいなと思っていたら、今日の連載で山本一力氏の説明があった。いままで職人たちは棟梁のオカミさんが作る「麦飯弁当」を食っていたというのだ。ハハハ、とてもポリティカリーコレクト。

つまり、山本一力氏は、家事労働は生産活動には反映されない、しかも麦(パン)なんかを食うのはニッポン的じゃない、それじゃみんな不仕合わせになる、コメをコメ農家から買って食うのが幸せだとおっしゃりたいのだろうけれど、そのおかげで何十万人という江戸市民が脚気で死んでしまったのである(当時、脚気は「江戸患い」と言われていた)。明治時代も森鷗外が同じようなことを主張したおかげで何万人の帝国陸軍将兵が脚気で死んでしまった(ここ)。

思いこみが強い人間ほど始末に悪いものはない。この江戸の火消し職人たちも、こんな弁当を食いだした以上、やがては脚気で死ぬ運命か。

あまり江戸時代を美化しない方がいいと思う。例えばこれなんか読むべし:
【最終回】太陽光発電の「不都合な真実」:日経ビジネスオンライン: " 江戸期後半は、新田開発も限界に達して、最低限の生活水準維持のため、「姥捨て山」伝説の信憑性はともかく、嬰児殺し(間引き)が一般化し、人口増はマルサスの罠によって約3000万人で長らく停止した。

 一部の環境派からは、人間の屎尿を肥料として本格的にリサイクル使用し始めた江戸時代は、持続可能社会のモデルのようにも言われているが、屎尿由来の回虫が蔓延して人々の栄養状態は悪化し、男の平均身長は150センチ台、女は140センチ台まで低下、その多くの頭蓋骨には栄養失調の証拠である眼窩の「す」が見られる。"

最近のニッポンでヒステリー現象が見られる環境問題だが、「間引き」しなければ「地球環境」は守られないというのでは、まさに江戸時代に逆戻りだ。


蛇足:当時江戸の役人が八丈島に流刑になると、みんなからいじめられるので悲惨な状態となったらしい(刑を言い渡された悪徳役人は途端に失禁をする)。どうなんでしょうね。若者の間で「Iターン」とやらが流行っているらしいが、山本一力はこの傾向に警告を発したかったのかしら?

日経:温暖化ガス25%削減で一番安くつくのは外国から排出枠を買うこと(慶応大学野村准教授)

今朝の日経記事。ネットでは読めないので要点のみ抜粋:
  1. 25%削減の政府目標達成には海外から排出権を取得するのが一番安くつくという試算を慶応大学野村浩二准教授がまとめた。
  2. 一般家庭の負担増は年3万2000円となる(排出枠価格トン30ドルと仮定)。トン80ドルに上がった場合でも年12万7000円。
  3. 一方、国内の削減努力だけで25%削減を実現しようとすれば、年76万5000円の負担となる。
  4. 野村氏は政府の地球温暖化に関するタスクフォースのメンバー。今後の議論に影響を与えそう。

当然こういう主張は無視されるだろう。「環境」で儲けようとする輩のメシの食い上げとなるから「国産品の保護」を訴えるからだ。環境産業は今後の成長産業になると言うが、海外からの排出枠取得よりめちゃ高く付くのであれば、何が国際競争力だ。

なんだか農水産物を巡る議論に似てきそう。損をするのは一般消費者だけ。

おいらが昔から言ってきたとおりの展開となりそうで、憂鬱:

Letter from Yochomachi: 「温暖化ガス25%削減」で、損する人と得する人

小沢環境大臣も発言も「確信犯」だったわけか:
Letter from Yochomachi: 「地球環境対策では、国内メーカーは和牛生産者と同じ手法で儲ければいい」(小沢鋭仁環境大臣)


2009年11月4日水曜日

「地球環境対策では、国内メーカーは和牛生産者と同じ手法で儲ければいい」(小沢鋭仁環境大臣)

今晩のNHK「クロ現」。小沢鋭仁環境大臣の発言には、正直驚倒しましたです:
クローズアップ現代 NHK11月4日(水)放送 実現できるか? CO2削減25%:”野心的な中期目標は日本をどう変えるのか最前線を取材、新政権はマイナス要因をどう克服して低炭素社会を実現するのか、小沢鋭仁環境大臣に聞く。”

和牛は高くても安全でウマイと言う屁理屈で普通の牛肉の5倍以上の値段で売っている和牛生産者を見倣い、日本の製造メーカーも国民に「高尚な目的を説得し、高くてもいいから買って貰え」ということらしい。しかし国産和牛生産者のぼったくり商法には、もうみんな辟易している。世界に冠たる「日本の製造メーカー」をして、「ナショナリズム」を利用し消費者を騙してお情けで生き延びるだけの保護関税だよりの衰退産業になれと言うのか?呆れてものが言えなかった。

また、温暖化ガスを削減しないと地球は破滅してしまうとか言うその「高尚な目的」自体が、あやふやなのである。日本以外では徐々にそういったことにみんなが気がつきだしている。狂信的な思いこみ主義者が政治を支配すると、おまけにそれが時代錯誤の認識に基づいたものであれば、ろくなことはない。

2009年11月3日火曜日

アサヒ:錦鯉三〇匹、一億円超ナリ!……誰がこんなのを買うのだろう?

世の中不景気でたいへんだと言うが、こんなニュースもある:
asahi.com(朝日新聞社):錦鯉30匹、1億円超ナリ 血統書つき - 社会: "血統書付きの錦鯉(ごい)が11月3日、前橋市のぐんまフラワーパークで初めて一般公開される。名前が付いた30匹がお目見えし、総額は1億円を超えるという。"

田中角栄が錦鯉に凝っていたが、彼ももう死んでしまった。ニッポンはみんなビンボーになってしまったというのに、いったい誰がこんなものにお金を払うのだろう。

都市の「お金持ち」にはとてもそんな余裕はないだろう。たとえ六本木ヒルズに住んでいたところであの建物に錦鯉を飼える設備はないはずだから。こんな物を買えるのは、戦後の自民党ばらまき政治のおかげで散々儲けたイナカのお金持ちに限られている。それも年寄り。あいつらは、世界的な大不況にもかかわらず、どうしてどうして、おカネを唸るほど持っているのである。だからこんな鯉商売も安泰。

最近、ニッポンの文化はどんどん「イナカ化」しているように見える。お金が全てイナカに集中してしまうシステムだから、ニッポン文化もスポンサーである「イナカ住民指向」となってしまったのだ。カネがすべての現代社会である以上、これはしようがない現象なのであるが(体制派のNHKは言うに及ばず、民放テレビもおカネを持っているイナカ既得権集団の宣伝塔に成り下がって「オイシ〜!番組」ばかり)、なんともやりきれない。民主党も政権を取ったら「自民党化(利権政党化)」してしまったから、今後もこの傾向に変わりはないのだろう。

錦鯉や初物なんかに巨額のお金を払う風習は、江戸時代の身分制度のもとで基本的な生活財にお金を使うことを禁じられていた江戸町人が遊郭などへの刹那的なおカネの費消で自己満足するしかなかった浪費性向に由来すると言う。それこそニッポン文化だとか言うアホもいるが(日経連載中の山本一力「おたふく」がそうだね)、もとより健全な風潮ではない。ニッポンは再びあのような不健全な社会に逆戻りしつつあるように見える。

2009年11月2日月曜日

鳩山首相、7200万円申告漏れ 08年の株売却、修正し納税 ……正直者が馬鹿を見る制度では困るんだよな〜

あらら、このニュース:
NIKKEI NET(日経ネット):鳩山首相、7200万円申告漏れ 08年の株売却、修正し納税 (12:29): "鳩山首相の事務所の説明によると、09年1月5日に上場株券が電子化されるのに伴い、証券会社が売買を管理する「特定口座」に移すため、「08年に証券会社のアドバイスに従って売却した」という。しかし「09年3月の確定申告時に手違いにより申告漏れをしていた」といい、申告漏れの金額は7226万847円に上る。 (12:29)
おいらは一般口座から特定口座に振り返る際、いろいろ悩んだけれど、売却したものについては正直に申告して税金を払った。でも税金のプロをアドバイサーに抱えるお金持ちはそんなことはしていなかったのだ。おいらはバカ正直だったみたい。正直者が損をする制度は困る。

この移転では、みんな頭を絞ったはず。ついうっかり申告を忘れてしまったなどと云うことは、頭を絞ったのは税金のことであったわけであり、あり得ない。うまく行けば税金を払わなくて済む、様子がおかしければその時税金を払えば良いという「損得勘定」で申告しなかったものだろう。それにほぼ間違いはない。

鳩山ファミリーの政治資金の問題については、ホリエモンがこれは意図的な相続税脱税の容疑があるのではないかと指摘している;

生活保護・貧困/鳩山故人献金問題|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba: "これ、国税的には単なるミスでなく、悪質な課税逃れということになるので修正申告で済まない査察が出てくる脱税案件になったりする事案なんだよねぇ。。。で、オヤジの代からやっていたということだから知りませんでしたというのもなかなか言いづらいのかなあと、西武の堤さんの事例をみると思うんだよねぇ。"


国税庁は、ビンボー人からの取り立てが厳しいくせに、大金持ちで政治権力者となれば、大甘だ。この問題も、ここで何もしなければ、いつも自称している「正義の味方」なんかじゃないよ。

2009年11月1日日曜日

地球環境問題でニッポンだけが突出してしまった、コストを払う日本の納税者だけが損をするという構図か

あらら:
温室ガス「30%」削減目標、EU見送りへ : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞): "【ブリュッセル=尾関航也】欧州連合(EU)は、2020年までの温室効果ガス排出削減目標を、現在の「1990年比20%」から「同30%」に引き上げる計画について、年内は見送る方針を固めた。"

世界はもっと現実的なのだ。ニッポンだけが「環境原理主義」に踊っている。

地球環境に関する最近のNHKなどのマスコミの報道ぶりは異常。正常なはずの日経新聞ですら、夕刊と週末は「環境原理主義者」に支配されている。一種の「ヒステリー現象」がニッポンを覆っている。

米国オバマは「環境政策」に熱心だと言うが、所詮、合理的な「原発」を推進し、中東への依存を減らそうというもの。これには政治経済的な合理性がある。それに対し「鳩ぽっぽ君」の環境政策には、ニッポンのエコ・ポピュリズムに訴えるものではあるが、何ら政治的・経済的合理性がない。PTAオバさん連中は乗せられているようだが、これではますます国益を損ない、ニッポン人はどんどんビンボーになって行く(ここ)。

環境云々は所詮の金持ちの道楽。一人あたりGDPで、あの欧州の落ちこぼれ国イタリアよりビンボーになってしまったニッポンには、そんな余裕はとてもないと思うのだが、鳩ぽっぽ君は地球環境のために日本国民に家計あたり数十万円の余分なコストを払えと言う(これ)。環境をネタに特定利権集団への更なる所得移転を狙った政策であろうが、あきらかに身の丈を越えた大盤振る舞いである。これは如何なものか。