BS日テレ 小さな村の物語 イタリア: "#56 ヴェレッツォ・ロメッリーナ (ロンバルディア州)
イタリア北部。ミラノから車で1時間半ほどのロメッリーナ地方は、イタリア一の米どころとして知られている。
その真ん中に位置する村、ヴェレッツォ・ロメッリーナは、この時期、一面黄金色の実りに抱かれる。春夏秋冬、村人たちは田んぼの営みの繰り返しとともに歩んできた。もうすぐ収穫の季節を迎える。
《主な内容》
代々続く農場の跡取り、家族で営む村唯一の大きな専業農家、村の収穫を何十年も見届けてきた元農夫・・・、米作りの村の農夫3人の物語"
番組で取りあげられた農家の農地は180ヘクタール。おまけに彼はもともとの農家ではなく昔は鍛冶屋だったという。いずれもニッポンでは制度的に不可能なことだ。
ファッショの臭いがプンプンするイタリア「スローフード主義」を賛美するのも結構だが、ニッポンの小規模兼業農家の食い扶持を保障しようとしてこういう番組が作られているとすれば、それは見当違いだ。やるべきことはまるで逆だろう。
ニッポンでは農家以外が農地を買うことはほとんど不可能。ものすごい参入障壁がある。それはたとえ「三反」でも農地さえ保有しておれば生活が保障されるという戦後の自民党政権によるイナカへの利益誘導政策のおかげで、農地自体が巨大な既得権益と化してしまったからである(よそ者にはそんなうま味のある飯の種を売るわけにはいかないと言うことで農家以外による農地の保有は事実上禁止されている)。ニッポンでは鍛冶屋が農地を買うなんてことはあり得ないのである。
鍛冶屋が買った農地の広さにも驚倒。狭いイタリアなのに180ヘクタールだ。それでも生活は苦しいという(換言すればそれだけ安く消費者に農産物を供給していると言うこと)。ニッポンの農家の平均農地面積はせいぜい三反(0.3ヘクタール)ではないのか。それで生活が出来ないのは当たり前だが、三反でも生活できるように農家の生計を保障しようとする農業政策が政治的に推進されている。トンでもない時代錯誤である。おかげでニッポンでは10ヘクタールも持っておれば(国際的には極小零細農家にすぎないけれど)高所得農業者になる。あいつらがそれだけ理不尽に儲けることができるのは存在価値のない「三反農家」の存在が政治的に守られているから(三反農家でも生存できるように農産物の価格が設定されるから)である。だから農地の大規模化(生産性の向上)は一向に進まない。コストを払うのはおいら消費者。ニッポンの農家数は今の十分の一でも過剰なのである。
何十年もそのコストを払ってきたのは都市住民(産業就業者)。日本産業が元気なうちは何とかなったが、さすがにボディーブローが効いてきたので、ニッポンの国際競争力は、惨めなまでに低下してしまい、みんなビンボーになってしまった。農家が栄えて日本の農業が滅びた。日本の農業ばかりではない。扶養家族を抱えすぎた日本経済もそのおかげで滅びつつあるのである。